Re:じさつ -
むぅ
2015/02/26(Thu) 17:01:11
とあるお坊さんのお話を、思い出したから書くね。
うろ覚えだけど。
そのお坊さんは職業柄、じさつにより身近な人を失った人から、「じさつすると**に落ちるという話を聞きます。そうなのですか」といった相談を受けるそうなの。
宗教のお話はよくわからないけれど、そのお坊さんの宗教には**というものが存在しないんだって。
そして、お坊さんはこう答えてた。
じさつをしても、変わらず生ま**わりますが、そこでじさつしたならば、次に生ま**わった人生でもまた同じ場所でじさつする。
乗り越えられない山を乗り越えられないと逃げれば、いつまでも、じさつしたとしても、ずっとそれは山として残り続けるのだと。
つまり、その苦しみはいつまでも苦しみとして残るのだと。
どこかで、乗り越えないといけないのだと。
ゲームに例えるね。有名な、マ○オのゲームにしようか。
ゲームを進めてて、とあるボスがいるお城の面で、何度やってもクリアできなくなって、あなたは諦めてそのゲームをプレイするのをやめた。これがじさつ。
そして、あなたは次の違うマリ○のゲームを始めることになる。
でもそのゲームでも、また似たようなボスとお城の組み合わせの面があるの。そしてやっぱりそこはクリアできない。そしてプレイするのをやめる。
これをずっと繰り返すってこと。
逃げるのは、悪いことではないよ。
立ち止まるのも、悪いことではないよ。
誰だって休息は必要だもんね。
ただ、逃げ続けること、歩みを完全に止めてしまうことが、ダメなんだよ。
じさつという逃げ道を選んだとしても、いつまでもその苦しみや痛みは乗り越えないといけない山としてあなたの前にあり続ける。それがそのお坊さんの教えだと思う。
必ず、どこかで乗り越えないといけないんだと。
生きることをやめなければ、歩みは止まらないよ。時間とは強制的に人を歩ませるものなんだ。
自分はその山を乗り越えようと思っていなくとも、時間が少しずつ勝手に山を越えようと歩ませるものなの。
それはあまりにも小さい一歩だから、なかなか自分では気づけないけど、時間が経てばその積み重なった距離に気づくんだ。
そして僅かでも小さくなった山に、これなら超えられるかもしれないと思える時が、くるよ。
ずっと昔に、子供のころにやった、どうしてもクリアできなかったゲームを、久しぶりにやったら、意外と簡単にクリアできたみたいに、ね。まぁ、人生はそうも簡単でわかりやすいものではないけどね。
結局、しんだらどうなるかなんて、生きている人間にはわからないけど。
生ま**わりも、私はあんまり真面目に信じられないけど、そのお坊さんのお話は何となく理にかなっていると思ったの。
しにたいほど苦しいとき、自分がただその苦しみにもがくのみで、一生そこから逃れられないのだと思うけど、生きるのを止めさえしなければ、少しずつだけど歩みは進められるよ。
その山を乗り越えるまでの道が、途方もなく長くて苦しいことを私は知ってるから、うまく言えないけど
でも、絶対乗り越えられない山ではない。そのことだけは信じてほしい。
生きることをやめなければ、自分は何も立ち向かえてないと思ってても、山を少しずつ登っていってるよ。
だから、じさつは、やめてね。
その山は、一人で乗り越えようとしなくたっていいんだよ。誰かに相談して、助けてもらいながら登ってもいい。
どうしてじさつしたいと思うほど、今がら苦しいのか、どうしたらそれを改善することができるのか、相談して、一緒に考えようよ。